神戸カフェ計画
TECTURE 掲載 LINK

クライアント:サンエフ
施工:清武ワークス 株式会社
竣工写真:太田拓実(1-8)、山田圭司郎(9,10)
事業内容:リノベーション


当プロジェクトはカフェの新規事業である。期待と不安が入り混じる船出のなか、その候補地探しからはじまった当計画は、最終的に風情ある町へと辿り着いた。

 

対象地となった花隈は、神戸の中心地である三宮から西へ2駅、観光地として栄える元町や南京町の西端に位置する。RC4階建(1階:車庫、2階:内科、3階:歯科、3階の一部と4階:住居)の親類で経営する医療ビルの3階にあたり、元々歯科医院だった3階部分は、約半世紀に渡り地元民にとってなくてはならない存在だったが既に閉院され、解体されたスケルトン状態のまま数年を経ていた。

内覧の同行で現地へ赴き、内部を見渡したのだが、何もない状態がコンクリート特有の静謐さや無骨さを強調していて、モルタルと造作の取り合いの痕跡から、単なるブルータルではない記憶のカケラが垣間見え、様々な連想を掻き立てられる場所だった。また、時代性を感じるビルの外観やユニーク佇まいが印象的だっこともあり、一通りの説明を受けたところで即決となった。

 

この界隈は、古くは城下町として栄え、神戸港の開港以後はその受け皿となって、料亭や花街として賑わった歴史的にも人情味の溢れる土地柄だ。街並みには、今もその痕跡と趣きが漂っている。

また、この地がかつて海に面した小高い丘であったこと、神の存在が宿ることを地名から読み取ることができ、ロマンと壮大さを感じる場所でもある。

偶然にも、3階より上部がキャンチレバーによって丘のように一段持ち出されていて、記憶に彩りを与えてくれる。

 

当計画は、そんな文化の根付いた地に、歯科の記憶を継承しつつ、施主の想いを詰め込んだ約90m2のカフェを新たな基点として挿入し、アジテートの起点として見据える試みである。

また、グラフィックデザイナーや2名の写真家が関わるなど、様々な人が関わるプロジェクトであり、多くの想いの詰まった場となっている。

 

 

空間表現は過激である。

「何もしない」ことを信条に、手数を掛けず既存にアプローチするという手法を基準に据え、長らく使われていなかった場のチリ埃を除去する程度の加筆修正としている。

これだけだと、割と大人しい表現にも聞こえるが、リノベーションにも関わらず、何かを足すことを拒否することは相反的なことだ。

例として、ピュアな空間をできるだけ維持するために、間仕切り壁を一切用いていないことが挙げられる。

また、天井が3.5mと高い。天井が高いことはクリエイティブにとって大切な要素の1つといえる。その良さが存分に発揮されるように、設えの高さを抑えながら、呼応するような素材でマッシブな形状を用いて整え、既存との調和を図っている。

 

「工」のバランスを整える場でもある。

工とは、ものを作ったり、仕事や技術そのもの、またはそれをする人、工夫すること、などの意味を持つ。

人為的な行為は極力排除し、自ずからそうなることを表す、自然(じねん)という関わりや調和のとれた状態を目指している。手数を掛けずに今あるもので工夫するという作業にも読み替えられるだろうか。

 

森は、針葉樹種と広葉構種が混じり合って生育していることが大切である。

例えば、スギ林は純林と呼ばれる単一種の森林と認識されているが、天然のスギ林は単木、あるいは23本の小グループで、他の広葉構種と混じり合って生育しているのが本来の姿( 安宅和人「風の谷という希望」P359,英治出版,2025)なのだという。混交林が豊かな植生を育むように、躯体と家具・雑貨などのパーティクルなエレメントや人が混じり合うことが、既存の人工の中で「自然」を紡ぐ手立てとなると考える。

 

内部完結でするのではない。それぞれが可変的であり連関することで、空間全体の自由度を保ちながら、緩やかに外部へと誘い、街に対してノード化する。そして、ファサードの水平連続窓や南面の大きな採光窓によって、外部環境と呼応するように空間を絆いでいく。そのような画をイメージしている。

 

空間には、絵のような自由な線は描けない。

けれど、材料の使い方を工夫することで、これまでの常識や見立てからの開放を促すことができる。それは、軽やかさを手にすることを意味する。物理的な重さの話ではなく、心理的な作用によって見える景色に変化を与えることなのだが、一見おかしな使い方に感じたり、チープな材料での拙い納まり、時にはエラーに感じることもあるだろう。

だが、このパラドキシカルな状態が、なぜか美しく感じたり、真実や意味の内包を示唆し、モノの深度を上げながら続いていく。

この相互関係を築くことが、ある種の自由な線を手にする作業なのであろうと思う。

 

出来上がった空間は極力手を加えていない、現調時のままのような様相を呈している。飲食店であるから、もちろん衛生面は考慮している。もっと言えば、そのせめぎ合いさえも、1つのエレメントとして捉えている節がある。

 

仕上がりは雑である。混沌としている。

雑とは、多くの意味を背景に持つ便利で複雑な言葉だ。

文字通り仕上げが雑なのだが、それが新旧の境界を曖昧にする界面的役割を担っていて、タイムレスな空間意匠として重要なファクターとなる。

 

対して、分節による影響も大きい。

歯科の間取りは、その性質から小さな個室が多い。今回は、それが全てRCの壁で動かすことができないため、そのまま使うか、さらに細分化するしか手立てがなかった。

記憶を継承することは、既存との関係性を図ることである。モノかコトか、或いはその両方か。弊所では、後者が主流となる。

そのため、現状の間取りをそのまま上手く利用することが求められた。幸い、管理会社による解体の仕方が上手かったことで、入り組むような空間構成が、どこか街角や路地裏のようにも感じられて、アトモスフェアのある場を作り出していた。

ならばと、既知の感性を活かした斫りや最低限の塗装による界面処理のみを行うこととした。不可侵な感覚、隔たりのあるようでないような、結果、何もしていないかのようなピュアな場が姿を現してくれた。

 

サーブド・サーバントの関係が明確なようで曖昧な構成にあって、アフォードする仕掛けが違いを察知させる。それが高さ150モジュールの上床である。

跨ぐ、或いは上がる行為は、特に日本においては、古来から神聖な所作としてあり、気持ちを改める機会となる。人は、その行為により、気を引き締めたり、まだ見ぬ向こう側に期待を膨らませたりする。

その動作を誘う装置として、4つのモノリスを要所に設置した。それぞれが接点に位置し、各エリアをつなぐ役割を担っている。キッチン部分においては、給排水の床下配管スペースとしての設備性を含むが、段差が見えない境界としても機能する。

レベルは、単調さを回避し、空間に動きや抑揚を加味する。それと共に、解体されたままの空間との差別化を図っている。

 

ここに家具や機器類、業務への必然性は然程ない雑貨等が加わる。オーナーは、ヴィンテージ家具や作家性の高い雑貨のコレクターで、その嗜好性からかなりの色覚が持ち込まれることになる。そうすると雑然さが増す。だが、時を経て馴染んでくると、むしろ、それが心地のよい雑踏のようなアトモスフェアを装う場へと変貌する。その意味で、もともと高いクオリティを持つ雑貨等がアクセントとして大きな効果を生むといえるし、その相互作用にも期待している。

また、調度品とも呼べるこれらのコレクションは主張が強い。それに関与し、耐え得る繊細な空間が求められた。その解答として何もしないことがある。

 

作り込まないことはサステナブルでもある。時代や思考性に見合う方法を選択することは、この先を見据えた視点への含みでもあり、耐力ある表現を可能とする。

手を加えない表現は、ともすると雑然となる。だが、許容値を広く捉えれば、見える視野にも影響を与える。

既存建具や配管の再利用、発生処分材であるガラの転用なども、アップサイクルの観点から有効だ。そこに人が交わることで新たな循環も派生するだろう。

これらは、この場所の過去を知る人々にとっての追憶のための表現が、この先も残り続けるということを意味している。そして、家主やその親族、これまでの利用者に対するリスペクトを示すことでもある。

 

今件は、常に思っている「何もしないこと」に対して真摯に向き合い、既存と新設の是非を問うような、これからの在り方を考えるための機会となった。

私はこの行為を「空間編集」と呼んでいる。まだ定義付けられている訳ではないが、将来の理論化を目指している。

 

世の中に存在する建築の多くは不可逆的だ。特にRC造においてはその意が濃い。そこに接ぎ木をするように可逆的なエレメントを取り入れてチューニングを行うと可変性が付与され、変容・継続・循環という未来を見据える場となっていく。

そのための設えや仕掛けを空間に付与すること。そこにベクトルを向かわせること。それが今回の設計やデザインにおける最大のミッションであったように感じている。